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2012.03.16
カテゴリ:《 未分類 》
自家焙煎
2012.03.15
カテゴリ:《 未分類 》
シーズン到来
2012.03.08
カテゴリ:《 未分類 》
機具屋さん
2012.03.08
カテゴリ:《 未分類 》
狸憑き
2012.03.08
カテゴリ:《 未分類 》
米酢
僕はコーヒーが好き。毎朝、実家から持ち込んだ大きなミルでガラガラコロンビアを挽いて、熱いのを淹れるのは僕の日課。このコーヒー豆を自分で煎ってみたら、という話になった。
色川の若い人の間で、いろいろなものを共同で購入しようと言う活動がある。以前から、色川では作っていない、作りづらいものを共同で購入することは行われていた。それが若い世代に引き継がれたかっこうだ。
若手女性のリーダー格の一人Hちゃんからコーヒーの生豆の購入の案内メールがきた。HちゃんやFちゃんから、以前は地粉を買った。今度は生豆だが、無農薬で当然炒ったものを買うより安い。お試しに1000円分を買った。焙煎は、この話があってからホームセンターでなにか道具がないものか探すと、豆をいる網の道具が安く手に入った。
「コロンビアの生豆が手に入ったからおうちに届けますよ」H子ちゃんはそう言ってくれたが、若い人はけっこうみんな忙しい。とくにH子ちゃんは独身で田んぼも畑もやり、若いのに次期の出荷組合の責任者になった。プラスあれこれ活動、ですごい充実人生のようだけど、彼氏いないの大丈夫かな、と気になる。
そんなわけなので、メールをしてH子ちゃんの家にこちらからとりに行き、昼ごはんの後、早速自家焙煎してみた。この豆を炒る網、どこかで見たなと思い出すと、あのポップコーンを炒る道具だった。これにコーヒー豆を入れて火にかけがらがらまわして炒って見た。はじめは豆の薄皮がはがれ、それが燃えコーヒーの香りとはいえない香りだがほどなくいい香りと色になる。
さっそくミルで挽いてみると、なかなかいい。ドリップして飲んでみれば、本当にコロンビアの味だ。
あとは自分の好みの炒り具合など加減すれば文字どおりの自家焙煎だ。まあ、これで七輪の炭火で炒れば炭火自家焙煎。コーヒー専門店でもはじめようか。
色川の若い人の間で、いろいろなものを共同で購入しようと言う活動がある。以前から、色川では作っていない、作りづらいものを共同で購入することは行われていた。それが若い世代に引き継がれたかっこうだ。
若手女性のリーダー格の一人Hちゃんからコーヒーの生豆の購入の案内メールがきた。HちゃんやFちゃんから、以前は地粉を買った。今度は生豆だが、無農薬で当然炒ったものを買うより安い。お試しに1000円分を買った。焙煎は、この話があってからホームセンターでなにか道具がないものか探すと、豆をいる網の道具が安く手に入った。
「コロンビアの生豆が手に入ったからおうちに届けますよ」H子ちゃんはそう言ってくれたが、若い人はけっこうみんな忙しい。とくにH子ちゃんは独身で田んぼも畑もやり、若いのに次期の出荷組合の責任者になった。プラスあれこれ活動、ですごい充実人生のようだけど、彼氏いないの大丈夫かな、と気になる。
そんなわけなので、メールをしてH子ちゃんの家にこちらからとりに行き、昼ごはんの後、早速自家焙煎してみた。この豆を炒る網、どこかで見たなと思い出すと、あのポップコーンを炒る道具だった。これにコーヒー豆を入れて火にかけがらがらまわして炒って見た。はじめは豆の薄皮がはがれ、それが燃えコーヒーの香りとはいえない香りだがほどなくいい香りと色になる。
さっそくミルで挽いてみると、なかなかいい。ドリップして飲んでみれば、本当にコロンビアの味だ。
あとは自分の好みの炒り具合など加減すれば文字どおりの自家焙煎だ。まあ、これで七輪の炭火で炒れば炭火自家焙煎。コーヒー専門店でもはじめようか。
3月。田んぼのシーズン到来です。うちの田んぼは棚田です。全部で5枚、水苗代にする1枚と合わせて1反と少し。3段の石垣で囲われて谷に広がっています。
ここに来る前は、棚田というのは知っていましたが、あれはきっと観光用かなにかの特別なもので、田んぼというのは広くて平らで区画整理されて四角いものと思い込んでいました。笑われる方、あなただってそんな認識じゃなかったですか?
区画整理されていないので、そのたびごとに溝を普請し、水元を起こし、畦をそぎ、ということからはじまります。ことに去年の台風12号で溝は土砂でかなり埋まっています。それをほじくり流れを確保するのがまずスタートです。また1枚のたんぼには台風の土砂がはいったままです。はじめはもうここは畑にしようか、とも言っていたのですが、やっぱり土砂のところをよけた変形の田んぼにしようということになりました。
そしてきょうは、畦そぎ。鍬を使って田んぼの畦をそぎます。うまく畦をそぐには柄のどのあたりを持って、どのくらいの角度でそいだらいいか、微妙な傾け方、足の位置などを経験しながら身に着けていきます。そしてこれは、周囲で見ているよりも、かなりきつい作業。おととい相方がやった続きをなんとか一周して、仕上げます。二振り三振り。鍬を振り上げ畦の端をけずっては止め、ふう、とため息をつきます。まあ、なんとか一枚の田んぼの畦そぎを終えました。
これからさき、しろかき、田植え、除草(中耕)、稲刈り、乾燥ときつい作業の連続です。けれど、なぜこうして日本人は稲を作りつづけてきたのでしょう。たしかに現代では、機械の導入により、楽になったところは多々あります。けれど楽に作ることよりもずっと大事にしたいと思わせることがこと田んぼに関してはあまりにもたくさんあるのです。
稲を作るやりかたはさまざまですが、うちの集落など、牛耕、手植えの田植え、れんげ、合鴨除草、水苗代、手押しの中耕、なるを組んでの自然乾燥
などなど実にユニークだったり昔の稲つくりのよさを復活させたりのオンパレードです。
また水を張ったたんぼには独特の水生の生物の群れなす様を見ることもできます。もちろん、自分が棚田の風景の中で一人鍬をふるうお百姓さんなんだ、と思うだけで感慨深いです。
とはいえ僕は体力も筋力もない、非力な男なので、いい季節、とばかりもいえません。これから半年もこんな力仕事かい、と思うとちょっとため息まじりではあります。
ここに来る前は、棚田というのは知っていましたが、あれはきっと観光用かなにかの特別なもので、田んぼというのは広くて平らで区画整理されて四角いものと思い込んでいました。笑われる方、あなただってそんな認識じゃなかったですか?
区画整理されていないので、そのたびごとに溝を普請し、水元を起こし、畦をそぎ、ということからはじまります。ことに去年の台風12号で溝は土砂でかなり埋まっています。それをほじくり流れを確保するのがまずスタートです。また1枚のたんぼには台風の土砂がはいったままです。はじめはもうここは畑にしようか、とも言っていたのですが、やっぱり土砂のところをよけた変形の田んぼにしようということになりました。
そしてきょうは、畦そぎ。鍬を使って田んぼの畦をそぎます。うまく畦をそぐには柄のどのあたりを持って、どのくらいの角度でそいだらいいか、微妙な傾け方、足の位置などを経験しながら身に着けていきます。そしてこれは、周囲で見ているよりも、かなりきつい作業。おととい相方がやった続きをなんとか一周して、仕上げます。二振り三振り。鍬を振り上げ畦の端をけずっては止め、ふう、とため息をつきます。まあ、なんとか一枚の田んぼの畦そぎを終えました。
これからさき、しろかき、田植え、除草(中耕)、稲刈り、乾燥ときつい作業の連続です。けれど、なぜこうして日本人は稲を作りつづけてきたのでしょう。たしかに現代では、機械の導入により、楽になったところは多々あります。けれど楽に作ることよりもずっと大事にしたいと思わせることがこと田んぼに関してはあまりにもたくさんあるのです。
稲を作るやりかたはさまざまですが、うちの集落など、牛耕、手植えの田植え、れんげ、合鴨除草、水苗代、手押しの中耕、なるを組んでの自然乾燥
などなど実にユニークだったり昔の稲つくりのよさを復活させたりのオンパレードです。
また水を張ったたんぼには独特の水生の生物の群れなす様を見ることもできます。もちろん、自分が棚田の風景の中で一人鍬をふるうお百姓さんなんだ、と思うだけで感慨深いです。
とはいえ僕は体力も筋力もない、非力な男なので、いい季節、とばかりもいえません。これから半年もこんな力仕事かい、と思うとちょっとため息まじりではあります。
町には、農機具屋さん、種やさん、などなど農村をバックにしたいろんなお店がある。たいがい主人はもともとお百姓さんだったりする。うちがお世話になっている農機具屋さんもそうだし、その息子は、村の若者といっしょに有機農業をしている。
こちらに来てすぐ、中古のチェーンソーを買った。買ったというより、買ってもらった、かもしれない。そのころはどうしても必要というより少し贅沢な遊び道具という感じだったから。新宮のある機具屋さんを、Sさんから紹介してもらった。そこならSさんおすすめのSTEELのチェーンソーがあるかもしれないというのだ。相方といっしょに行ってみたら、別のメーカーの中古の7万のものをすすめられた。それをさらに安くして4万でいいという。迷ったがそれを買うことにした。というか、迷うほどこの機械の相場など知らなかった。今思えば金額は安くない買い物である。
それからずいぶんたった。この機具屋さんは山仕事の機具を専門にあつかっている。だから買ったチェーンソーはちょっと使うにはどっしり重いが、かなり本格的なものだ。おかげではじめは「困ったな」といいながら山の中を引きずるように持ち回っていたのが、今思えば腕を鍛えるのにちょうどよかったのかもしれない。そして、それがきっかけで毎日薪風呂を焚くことになり、かなり頻繁にこの道具を使っている。
そのために新しい刃が必要になった。ホームセンターにおいてある刃は一般的なもので取り寄せになるという。それでもともと買ったこの店に問い合わせすぐに取り寄せてもらった。
刃は実はホームセンターよりも安い値段だった。店の主人は、とても背が高く、いかにも山仕事をしていたと言う感じの、すばらしい体格だ。
家に帰り、さっそく刃を換える。けれど、刃がたるんでうまくいかない。店に問い合わせると、チェーンソーの型番から言ってまちがいないという。「次に降りたときに見てもらえますか」とたのむと、「いいですよ」という。それきりにして風呂焚きをはじめると電話がかかってきた。
店の主人が、取り付け方がまちがっているのではないか、とくわしく教えてくれたのだ。もう一度刃を交換すると、今度はうまくできた。うれしくて主人に電話した「そうやろ、ちゃんとはいるやろ」ととてもうれしそうだ。
「店の主人」というにはおよそ愛想のない無口な主人ばかり。けれどこちらが困っていることには答えてくれる。こういう人たちの支えで山仕事も野良仕事も成り立っている
こちらに来てすぐ、中古のチェーンソーを買った。買ったというより、買ってもらった、かもしれない。そのころはどうしても必要というより少し贅沢な遊び道具という感じだったから。新宮のある機具屋さんを、Sさんから紹介してもらった。そこならSさんおすすめのSTEELのチェーンソーがあるかもしれないというのだ。相方といっしょに行ってみたら、別のメーカーの中古の7万のものをすすめられた。それをさらに安くして4万でいいという。迷ったがそれを買うことにした。というか、迷うほどこの機械の相場など知らなかった。今思えば金額は安くない買い物である。
それからずいぶんたった。この機具屋さんは山仕事の機具を専門にあつかっている。だから買ったチェーンソーはちょっと使うにはどっしり重いが、かなり本格的なものだ。おかげではじめは「困ったな」といいながら山の中を引きずるように持ち回っていたのが、今思えば腕を鍛えるのにちょうどよかったのかもしれない。そして、それがきっかけで毎日薪風呂を焚くことになり、かなり頻繁にこの道具を使っている。
そのために新しい刃が必要になった。ホームセンターにおいてある刃は一般的なもので取り寄せになるという。それでもともと買ったこの店に問い合わせすぐに取り寄せてもらった。
刃は実はホームセンターよりも安い値段だった。店の主人は、とても背が高く、いかにも山仕事をしていたと言う感じの、すばらしい体格だ。
家に帰り、さっそく刃を換える。けれど、刃がたるんでうまくいかない。店に問い合わせると、チェーンソーの型番から言ってまちがいないという。「次に降りたときに見てもらえますか」とたのむと、「いいですよ」という。それきりにして風呂焚きをはじめると電話がかかってきた。
店の主人が、取り付け方がまちがっているのではないか、とくわしく教えてくれたのだ。もう一度刃を交換すると、今度はうまくできた。うれしくて主人に電話した「そうやろ、ちゃんとはいるやろ」ととてもうれしそうだ。
「店の主人」というにはおよそ愛想のない無口な主人ばかり。けれどこちらが困っていることには答えてくれる。こういう人たちの支えで山仕事も野良仕事も成り立っている
「ちゃんと頭を狙って」
相方は木の棒で狸を押さえつけ、そして僕が鉄パイプでがんがんなぐりつける。かれこれ何度目だろう。相変わらずの狸との仁義なき闘いである。以前、見事一匹をしとめたが、どうやら石垣のすきまに住みついたらしく、その子供らしい子狸が、連日執拗に鶏を殺しまわる。闘いは泥沼化している。
親狸は案外簡単に手にかかったが、やはり親の恨みの情があるのか、子狸のしぶとさは並ではない。数日前に一度、寸前まで叩きのめしたが、逃げられた。そしてきのうの深夜。
深い眠りをさますように、遠くで鶏が僕に知らせるようにわめいている。僕はその声をたしかにきいたのだが、無意識に夢だろう、と消去した。そしてきょう、また大きな叫び声で知らせる。
いくら鉄パイプで頭をなぐりつけても、狸はびくともしない。そればかりか僕をものすごいするどい目でにらみ返す。「フォークよ、フォーク」あの刈草をつきさすするどいフォークで刺すの?
フォークは畑の納屋に置きっぱなしで家にはなかった。鉄の細い支柱をもってきて、それでのど元を突き刺す。「この野郎」とばかりに串刺しにすると、鉄の棒はあり余った力で金網をつきぬけて向こうまで貫通した。おそろしい世界に入り込んでしまった。
「やっと死んだわね。あした、棒に突き刺して見せしめに小屋の裏にさらしておきましょ」僕はもうのどが枯れるほど息が荒かったが、相方もさすがに声が荒くなっていた。
例によって死体をコンテナでかぶせ重石をして小屋の入り口にとりあえず置いた。もう鶏は二羽だけになってしまった。もう新しい鶏たちがくる5月までには全部やられているだろう。
鶏はカーカー、と恐怖の叫び声をあげているが、その声がかすれ、震えている。何度も飛び立とうと羽をばたつかせるが、うまくできない。「だから床に寝ないで止まり木にねろといったろ。ちっとは学習しろ」といいきかせながら、産卵箱に寝る癖を直さなかった自分を悔いる。あたりまえだが、野性と言うものを喪失している。
どうすればいいんだろう。とりあえず、いまは風呂焚き場に貼ってある弘法大師のお札を小屋に貼ろうか。相方はわなをしかけよう、とかセンサーをつけようとか言うがセンサーはまるでそぐわないので納屋の奥にあったさびついたわなだけはしかけた。僕はぼんやり「やっぱり犬だな」と思うのだった。産まれたばかりから鶏小屋のそばで飼い、鶏を守るために育てる。これはわれながらいいアイデアだと思う。
翌日、朝から具合が悪い。肩から上が痛い。もう、棒に刺して見世物にするなどという元気はないし、相方もそんなことを叫んだこと自体を忘れているようだ。完全に狸に憑かれている。どうやら肩が痛いのは面倒で狸を葬っていないからだろう。山椒の木の根元の動物の墓地に葬ってやらねば・・・・そう思うが気分がめいってうとうと昼寝をしてしまう。すると、夢に。
血まみれの狸がらんらんと目を光らせこちらをにらんでいる。僕は「あ、また出た」と思いはっと目が覚める。「化け狸・・・・」
とにかく早く葬らないと、と表を見ると、相方が「まだ生きてるわよ」
完全に具合が悪くなって何もできずそのままその日は寝込んでしまった。本当に鶏を飼うというのはただごとではないし、こんなことをやって暮らすのも本当は大変なことだ、と思い知らされたのだった
翌日の今日、とにかく家のそばにこの化け物をおいておくのはよくない、と思い朝一番に思い切って鶏小屋の前に行って見た。コンテナからは何も物音がしない。すきまからのぞくと、どうやら狸は成仏したようだ。鶏小屋には朝日が差し、鶏たちは何事もなく、ノー天気に小屋の中を行き来している。とりあえずコンテナを家の下の堆肥小屋に移す。「これでいいや」
おばあちゃんを町の病院に連れて行く。「検査の結果、何も心配ないですよ」おばあちゃんはそう看護婦さんにいわれ、安心していた。家についてすぐコンテナをあけた。もう子狸は完全に冷たくなり、独特のにおいを発していた。山椒の木の下をスコップでざくざく掘ると、土の中から数日前に葬った鶏の足が出てきた。そこに狸をほうり入れ、また土をかぶせた。「もう殺し合いはやめような」とつぶやき「般若心経」といってから、すぐそばにある石垣の穴に合う大きさの石を詰めふたをした
相方は木の棒で狸を押さえつけ、そして僕が鉄パイプでがんがんなぐりつける。かれこれ何度目だろう。相変わらずの狸との仁義なき闘いである。以前、見事一匹をしとめたが、どうやら石垣のすきまに住みついたらしく、その子供らしい子狸が、連日執拗に鶏を殺しまわる。闘いは泥沼化している。
親狸は案外簡単に手にかかったが、やはり親の恨みの情があるのか、子狸のしぶとさは並ではない。数日前に一度、寸前まで叩きのめしたが、逃げられた。そしてきのうの深夜。
深い眠りをさますように、遠くで鶏が僕に知らせるようにわめいている。僕はその声をたしかにきいたのだが、無意識に夢だろう、と消去した。そしてきょう、また大きな叫び声で知らせる。
いくら鉄パイプで頭をなぐりつけても、狸はびくともしない。そればかりか僕をものすごいするどい目でにらみ返す。「フォークよ、フォーク」あの刈草をつきさすするどいフォークで刺すの?
フォークは畑の納屋に置きっぱなしで家にはなかった。鉄の細い支柱をもってきて、それでのど元を突き刺す。「この野郎」とばかりに串刺しにすると、鉄の棒はあり余った力で金網をつきぬけて向こうまで貫通した。おそろしい世界に入り込んでしまった。
「やっと死んだわね。あした、棒に突き刺して見せしめに小屋の裏にさらしておきましょ」僕はもうのどが枯れるほど息が荒かったが、相方もさすがに声が荒くなっていた。
例によって死体をコンテナでかぶせ重石をして小屋の入り口にとりあえず置いた。もう鶏は二羽だけになってしまった。もう新しい鶏たちがくる5月までには全部やられているだろう。
鶏はカーカー、と恐怖の叫び声をあげているが、その声がかすれ、震えている。何度も飛び立とうと羽をばたつかせるが、うまくできない。「だから床に寝ないで止まり木にねろといったろ。ちっとは学習しろ」といいきかせながら、産卵箱に寝る癖を直さなかった自分を悔いる。あたりまえだが、野性と言うものを喪失している。
どうすればいいんだろう。とりあえず、いまは風呂焚き場に貼ってある弘法大師のお札を小屋に貼ろうか。相方はわなをしかけよう、とかセンサーをつけようとか言うがセンサーはまるでそぐわないので納屋の奥にあったさびついたわなだけはしかけた。僕はぼんやり「やっぱり犬だな」と思うのだった。産まれたばかりから鶏小屋のそばで飼い、鶏を守るために育てる。これはわれながらいいアイデアだと思う。
翌日、朝から具合が悪い。肩から上が痛い。もう、棒に刺して見世物にするなどという元気はないし、相方もそんなことを叫んだこと自体を忘れているようだ。完全に狸に憑かれている。どうやら肩が痛いのは面倒で狸を葬っていないからだろう。山椒の木の根元の動物の墓地に葬ってやらねば・・・・そう思うが気分がめいってうとうと昼寝をしてしまう。すると、夢に。
血まみれの狸がらんらんと目を光らせこちらをにらんでいる。僕は「あ、また出た」と思いはっと目が覚める。「化け狸・・・・」
とにかく早く葬らないと、と表を見ると、相方が「まだ生きてるわよ」
完全に具合が悪くなって何もできずそのままその日は寝込んでしまった。本当に鶏を飼うというのはただごとではないし、こんなことをやって暮らすのも本当は大変なことだ、と思い知らされたのだった
翌日の今日、とにかく家のそばにこの化け物をおいておくのはよくない、と思い朝一番に思い切って鶏小屋の前に行って見た。コンテナからは何も物音がしない。すきまからのぞくと、どうやら狸は成仏したようだ。鶏小屋には朝日が差し、鶏たちは何事もなく、ノー天気に小屋の中を行き来している。とりあえずコンテナを家の下の堆肥小屋に移す。「これでいいや」
おばあちゃんを町の病院に連れて行く。「検査の結果、何も心配ないですよ」おばあちゃんはそう看護婦さんにいわれ、安心していた。家についてすぐコンテナをあけた。もう子狸は完全に冷たくなり、独特のにおいを発していた。山椒の木の下をスコップでざくざく掘ると、土の中から数日前に葬った鶏の足が出てきた。そこに狸をほうり入れ、また土をかぶせた。「もう殺し合いはやめような」とつぶやき「般若心経」といってから、すぐそばにある石垣の穴に合う大きさの石を詰めふたをした
食にこだわる人の秘訣の一つは調味料にこだわることでもある。とても変ないいかたをすると、調味料がいい加減なうちは、どういういいご馳走が並んでいても、あまりいい食生活とはいえないかもしれない。
勝浦の天満というところに丸正酢という米酢の醸造元がある。こちらではファンが多いが、もちろん相方と知り合い、はじめて存在を知った。とにかくびっくりするほどまろやかな酢で、今まで酢というとイメージしていたあのツンと鼻にくるような強いすっぱさとはまるでちがうのだ。その味のよさと、東京ではなかなかないおいしさに、去年の盆の帰省のみやげにはこの丸正酢を選んだほど。のちに姉が電話で「あの酢、おいしいわね」とさっそくよさをかぎつけた。
一度だけ国道からせまい道をはいったところにある醸造元の前を車で通ったことがある。とても古い建物から、独特の発酵の香りがただよってくる。やんわりとこんなところに・・・と心があたたまった。
その丸正酢は明治初期の創業という。地元紙に、三代目になる今の専務取締役の取材記事が出ていた。熊野杉の樽を、からにせず酵母菌が弱くならないようにすること、樽に行くときにはいつも神棚に拍子木を打ちほら貝を吹くこと、などなど食への大変な心の入れようが、伝わってくる。工場で「品質や安全」を管理して作られる大手メーカーのものとの違いの大きさにおどろいた。
友人、といっても少し年上だが、東北の農家の生まれの人が言う。「むかしはそれぞれの家で味噌や漬物を作るから、それぞれの菌がいて、においが違うのがわかったものよ」今は無香が一番いいのだろうか・・・
ところで、丸正酢の黒米酢は、マクロビオティックを広く伝えた久司道夫
氏の依頼があって創業者がつくったものという。もち米の玄米でつくった酢である。久司氏は和歌山の人で、母親の実家は今は那智勝浦町になる、色川のとなり村、太田であるという。
久司氏が、そしてマクロビオティックの提唱者である桜沢如一氏も、熊野に縁がある(両親が新宮の出身)というのは、最近知った驚きだったが、身近な酢にもこんな縁があった。
マクロビオティックでは、もちろん梅干などもいい食品の代表である。
食と健康は熊野にあり、なのだろうか。食卓に丸正酢で作ったすし酢を欠かさず、おかずがなければそれをかけて食べる相方の食はそうまちがったものではないみたいだ
勝浦の天満というところに丸正酢という米酢の醸造元がある。こちらではファンが多いが、もちろん相方と知り合い、はじめて存在を知った。とにかくびっくりするほどまろやかな酢で、今まで酢というとイメージしていたあのツンと鼻にくるような強いすっぱさとはまるでちがうのだ。その味のよさと、東京ではなかなかないおいしさに、去年の盆の帰省のみやげにはこの丸正酢を選んだほど。のちに姉が電話で「あの酢、おいしいわね」とさっそくよさをかぎつけた。
一度だけ国道からせまい道をはいったところにある醸造元の前を車で通ったことがある。とても古い建物から、独特の発酵の香りがただよってくる。やんわりとこんなところに・・・と心があたたまった。
その丸正酢は明治初期の創業という。地元紙に、三代目になる今の専務取締役の取材記事が出ていた。熊野杉の樽を、からにせず酵母菌が弱くならないようにすること、樽に行くときにはいつも神棚に拍子木を打ちほら貝を吹くこと、などなど食への大変な心の入れようが、伝わってくる。工場で「品質や安全」を管理して作られる大手メーカーのものとの違いの大きさにおどろいた。
友人、といっても少し年上だが、東北の農家の生まれの人が言う。「むかしはそれぞれの家で味噌や漬物を作るから、それぞれの菌がいて、においが違うのがわかったものよ」今は無香が一番いいのだろうか・・・
ところで、丸正酢の黒米酢は、マクロビオティックを広く伝えた久司道夫
氏の依頼があって創業者がつくったものという。もち米の玄米でつくった酢である。久司氏は和歌山の人で、母親の実家は今は那智勝浦町になる、色川のとなり村、太田であるという。
久司氏が、そしてマクロビオティックの提唱者である桜沢如一氏も、熊野に縁がある(両親が新宮の出身)というのは、最近知った驚きだったが、身近な酢にもこんな縁があった。
マクロビオティックでは、もちろん梅干などもいい食品の代表である。
食と健康は熊野にあり、なのだろうか。食卓に丸正酢で作ったすし酢を欠かさず、おかずがなければそれをかけて食べる相方の食はそうまちがったものではないみたいだ




